10月の空間の日。
さちえさんはとっぷりと善と悪についてみんなと対話してくれました。
色んな質問をこどもたちに投げかけていきます。
「みんなの思う善と悪ってどんなこと?」
「うーんとね、人を傷つけたり、何かを盗んだりすること?」
「人を傷つける、たしかにそうだね。
でも人に傷を付けることでも悪ではない事があるのかもしれないよ?
同じ行為、たとえば刃物でお腹を切る。
人の命を助ける為に、お医者さんが手術で行うのと
人を殺す為に、やるのと、どうちがう?どちらが善?悪?」
そんな問いに、最近ふざけたがりちゃかしたがりのみんなは
「どっちも悪!!!お医者さんも悪!!!だって痛いもん!!!」
と笑いながら言っています、、、。
でもさちえさんは
「へえ〜そうなんだ。」 と一度聞いてくれる。
そしてもっとみんなの身に近い例え等で真剣さを引き出してくれます。
「じゃあ、Kちゃん、
おばあちゃんはKちゃんが空手を続ける事は善だとおもって続けなさいと言ってるんだよね?
でもKちゃんにとって今空手を続ける事は自分にとって善とは思えないんだよね?」
「うん、だって他の事やりたい。
でもおばあちゃんは全く私の意見を聞く耳を持ってくれない。大人の言う事は聞きなさい、って。」
「それは嫌だよね、自分の善悪を人に押し付けるのは。
もっと自分の想いを大切にして、訴えていいんだよ。」
と私も幸恵さんもKちゃんに声をかけました。
そんな話などをしたら、どこか安心したような表情に。
そしてそこからぐっと入ってきてくれる。
そこから、「善悪は人でも、立場でも、規模でも変わっていくんだよ」
という話をしてくれました。
「世界―社会(国)―大人(親/学校など)―みんな(個人)それぞれで善悪やルールって違う事があると思う。たとえば今の社会は人殺しは悪としている。
でも戦争の時はそれが国のため、善になったんだよ。」
そうさちえさんが話すと、みんなはとても理解に落ちた反応をみせてくれます。
そう、こんなことも起こる。
起こった時に、なにが大切なんだろう?
「もちろんそんなことしたくない、戦争にいきたくない人も沢山いた。
そうして罰せられてしまう人もいたし、自ら命を絶ってしまう人もいたし、
きっと沢山の人が思い悩んだと思う。
社会が許してくれなくても、周りを善悪が合わなくても、
”自分の感じる事”を大切にするべきなんじゃないかな?」
ハッとした顔のみんな。
そっか、それでやっぱりいいんだ、という顔をしています。
そこで私は
「そして、少しの勇気をもって、声を出すことも大切だと思う。」
と言う話をしました。
私が小学生の時にクラスの中のいじめを止めた話なんかをしながら。
「周りの善悪がおかしくなってしまったりした時に、
近い考えをもつ仲間がいると、力になるんだ。
このピラミッドみたいに、大きな規模の事をきめる人は、社会の中の少数の人間だったりする。このピラミッドの下、民衆の力は大きくて、そのおかしな善悪を変える力がきっとあるよ。」
「こういう話はなかなか友達としにくいかもしれないけれど、
真の友達だったらできるはず。私とさちえさんみたいにね^^
そういう仲間を見つけていってね。そうするとオトナになるのも楽しいから!」
さちえさんの日、そんな話をきいたみんなは、
最後には希望をもった目になっていました*
(友達とそういう話、してみよう!と言っている子、
クラスのあいつ戦争好きとか言ってたから意見合わないな、と言っている子もいました。)
みんなまだ、社会全体とはいわなくても、
大人や学校、友達の中など、周りに善悪の理不尽は一杯あって、
その理不尽さに抗いたくても、こどもだからと
大人や影響力のある人の善悪を押し付けられていることも多いと思います。
変だなと思っても、飲み込まないといけなかったり、聞いてもらえなかったり。
そんな小さな我慢や傷は蓄積し、いつしかその圧力に息が出来なくなったり
歪ませられてしまうこともあると思う。そんなことに大人は気付かずに。
だからこそ、寺子屋では
みんなのなかの軸をみんな自身が大切にできるように寄り添いたい。
私はこどものころ、親や学校や社会などから
それを感じるたびに、こころの中までは支配されないようにしていました。
早く大人になって、自分の意思を示して生きていけるようになりたい、と思っていました。
みんなのこの日の姿をみて、そんなことを思い出していました。
かえさんは、みんなが自分に正直にいられるように、応援しているよ。
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