2019年4月11日木曜日

2019 1月ゲストの日の作品

1月のゲスト、パトのワークでとった写真作品♪

後日現像したフィルムカメラの写真と、選んだデジタルカメラの一枚とを台紙にはってみんなに渡しました^^




  人生ではじめての写真作品かな*
それぞれの視点がみれてそれぞれのカラーがでてて嬉しかったなあ。

フィルムカメラ、こんな風にとれてたんだあ、とみんなも楽しみにしてくれてたみたいで渡したら嬉しそうでした^^


多と少の一ヶ月、なにかみんなの中に残ってくれたかなあ。◯


2019 1月ゲストの日

1月の多と少でのゲストは、パトリック・ツァイさん。


アメリカからやってきた台湾系アメリカ人の写真家、パトリック。
アメリカにいてもアジアにいても、アートの世界でも、マイノリティーでアウトサイダーだと自覚しているらしい彼。ゲストにぴったりだと思いました。


1月の初め、パトと打ち合わせをしたあと、障害のある方がたのパフォーマンスを一緒にみにいきました。(パトは障害のあるかたと過ごした日々のマンガも描いています)
そのパフォーマンスのアフタートークでも、多と少という言葉がでてきました。

多と少を考えた時に、やはり少ないがマイノリティーになる。
マイノリティーとマジョリティーの関係って数の影響はたぶんにある。

世界に指が3本の人がほとんどだったら、指が5本あることが病気と呼ばれたりするのかもしれない。
耳が聞こえない人が世の中のほとんどだったら、耳が聞こえる事が障害とされるかもしれない。
多いほうが優勢でマジョリティーになってしまう。
仕組みとしてはしかたないのかもしれないけれど、 ただ多いからそれを当たり前、とは思いたくない。

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さて、寺子屋のワークは、というと、、、、、、
 記念館にいって、まずはパトリックは写真の話をしてくれました。
 写真でも、芸術としての写真がある。作品の取り方も色々あるんだよと。
構図を決める、モチーフからつくる、偶然を面白く切り取る、、、など。
パトの作品はもちろん、色んな写真家のものをみせてくれました。
(うめかよさんの作品とか、みんな食いついてみて聞いていましたよ)


それから、みんなも作品をとってみよう、ということで、説明をしました。

” この部屋の中で一番気に入った物や人をつかい、構図をきめて、一カ所をとる。
その一カ所(同じ被写体)を、2つのカメラを使ってもらい、2枚の作品をつくる。”

2つのカメラをつかうときに、それぞれルールがあるよ。と。


★一つは、まずデジタルカメラでとる。時間を決めて、その間なら何枚とってもOK★

ということで、この部屋の中で気に入った場所、ものひとなどを選んで、
配置したり画角をきめたりして、よーいスタートで2分間撮ってもらいました。


「もうちょっとこうして」「今度はこっち」
なんていいながら、パシャパシャと沢山撮ってくみんな^^
(人をとる子もいれば、モノをとる子も、風景をとる子も。ある子は何回も紙飛行機を飛ばしてもらって、それをおさめようと頑張っていましたよ!)

 そのあとは、次につかうカメラの説明。
一眼レフのフィルムカメラです。
フイルムに光を焼き付ける事、そのため、とり直しができないこと、フィルムを現像して焼き上がってこないとどう撮れたかはわからないこと。

デジタル世代のみんなには、はじめての体験かもしれません。
そんなフィルムカメラを使って、みんなにもさっきとおなじモチーフをとってもらいます
フィルムカメラのルールは、★ひとり、一枚のみ★


 シャッターを押すまで、すごくすごく慎重に、真剣になる様子がみえます

 いろんな視点、画角でファインダーをのぞいては移動し、、、

ようやく撮った1枚はどんな作品になったかな?



寺子屋にもどってから、デジタルカメラで撮った写真をみんなで見ながら、
沢山とった中のお気に入りの1枚を自分できめていきました



 沢山撮ったデジタルカメラ、一枚だけのフイルムカメラ

みんなどっちが好きだった?と聞いたら、
「1枚だけのフィルムカメラはめちゃくちゃ緊張したけど
だからこそ面白かったし、どんなものがとれてるかすぐわからないのもなんか楽しみ!」

という意見が^^

もちろん沢山とれること、すぐにみたり、消したり出来るデジタルの利点もある。

でもたった1回を大切にしたり、時間がかかる事やその待つ時間を楽しんだり、
少ないからこそ真剣に取り組む、その気持ちも持ちつづけてほしいな^^と思います。◯



パト、とってもいいワークでした!
きてくれて、ありがとう*

2019 1月空間の日

1月、多と少のさちえさん(空間)の日


さちえさんは「男と女、どっちがいいと思う?」
とみんなに質問。

男の子は「男!」
女の子は「女!」

なんで?と聞いてみるも、だって…、、、、のあとに続く言葉が支離滅裂だったりする。

じゃあチームにわかれて、相手を説得してみよう。と提案。
男子はふざけて、説得出来る理由がぜんぜん出てきません、、、。
 どちらも数としては3:3だったので、多い少ないが発生するテーマに変更。
 多い少ないのロールプレイをしてみようという試みをしてみたかったのです。

まず、総理大臣と大臣たち(多)、国民(少)で4:1で、
戦争をしたい多としたくない少でロールプレイをしてもらいたかったのですが、
なんででしょう、ワーワーぎゃーぎゃーになって、まったく対話にならない、、、、。

 ならば、みんなの置かれている環境にフィットするほうがいいのかな、と
先生(私)と生徒(みんな)で、やってみようと、こんな設定にしてみました。

”国から小学生を英才教育するために授業を8時間にするように”と指針がきた。みんなの意見を聞かせてほしい。先生を説得できれば、先生が国にも訴えられるかもしれない。


ということでやってみたのですが、、、、、
「やだ!逆にバカになる!!」「ストレス溜まる!!」とかなんでしょう
直接かみつくような言葉しかでてこず、、、

しまいにはあきらめの境地なのか、
「ゲームくれるならいいよ」と言いはじめる始末。
「もっていないゲームね」だって。

思考の停止なのか?!
(この言葉を聞いて私はちょっと血の気がひきました。。。 )

そこでさちえさんに先生になってもらって、私も生徒側に。

「そもそも、みんなが同じ授業をして、みんなが同じようにできるようにならないといけないって思ってる?」

と聞いてみると、「そうだよ、大人になったら困るもん」とKちゃん。
そのことばに「そんなに困らなかったなあ」とさちえさん。

確かに文字とか、基本的な計算とか、ベースで大事なものはあるけど、つかわないものだってある。
逆にかえさんのダンスみたいに学校で教えてもらえない事で自分で学んで、仕事にしてることだってある。

(私は割と優等生でしたが、なんでなんでちゃんだったので、
心の中でなぜこれを勉強しないといけないのか、をいつも疑問に思っていました。
ただ詰め込むだけではなく、どう生活に繫がるのかをこどもたちにもつたえるべきと思うんです。そしたら納得して学ぶとおもう。)

ロールプレイに戻り、
みんなに、こういうとき、いやだ!!とマイナスの意見をいうこともできるけど、
出されたものを超えるプラスのアイデアを出すっていう方法もあるよ、と伝え

「8時間だとしても、たとえば理科が得意な子がいたなら、その子の研究の為の時間を増やすとか。」
「他の国では、自分のうける授業を自分で決められたりするところもあるよ。」
「8時間にする分、1コマの時間を減らす、学校を週に3回だけに集中する、他の日は宿題ではなく自主的な自分の学びのためにつかうようなシステム。どう?」

そうみんなに問いかけると、
「いいね、それなら好きな物に集中出来る。」
「自分で決めたい!!!」

と賛同する意見がでてきました。


もう戦後から頑に決まってしまった一斉教育の教育システムのなかで
いつしかみんなの頭も頑になってしまったのかな。。
時代は平成も終わる。

どうにかこどもたちの持っているきらめきを奪わない教育になってほしいと願っています。

このころ、ぎゅうぎゅうに受け身の教育をされているせいなのか、
メンバーの組み合わせのせいなのか、最近の金曜日のメンバーは
テラコヤにくると、とにかく発散したい!のエネルギー100%になっていて、
とにかく話ができませんでした。
(動物園の肉食獣の檻の中にいるみたいなかんじ、、私が半泣きになってようやく話をきいてくれるという、、)

このロールプレイも含めて、 寺子屋でやってることはなんだって遊びなんだけど、
型にはまっていく時代をすごしているみんなは
遊び=ドッチボール、ゲーム、と頭の中の方程式内の決まったものしか遊びと思っていない様子。 もっと話せたのになあ、、どうしたものか;;と。
 

(今思い返すと、その様子はみんなからのSOSでもあったのかな。 )

でも、少数を体験したみんなは、意見がとどかないことへの怒りや、動揺を体感できたようです。

無関心でもなく、多い物にとりこまれず、長いものにも巻かれず。
自分の意見をしっかりもって、言える人になってほしいなあ。

2019年4月10日水曜日

2019 1月造形の日

1月、多と他の造形の日

寺子屋の前にある桜は年に何度か咲きます。
 1月のこの日も、花開いていて、それを描きたいといった子がいたので、ゆいちゃんはみんなで描こうと声をかけてくれました^^

ひとりひとりタッチがちがって。
花をかく子もいれば、枝を描く子も。







ゆいちゃんはその後部屋に入ってゲームをはじめました。

「少ないと思うものからはじめて、徐々に数を増やしていくゲームをしよう」
(寺子屋の中→大倉山→港北区、、など規模も大きくしてきます)


鳥、人間、鳥、虫、木、葉っぱ、砂の粒、などと増やしていきますが、
「え、ちょっとまって、木より人間の方が多いかもよ、街だと、、」とか結構みんなひっかかりながら、頭が混乱。。


そうして数を考えていくと、いつしか地球を飛び出して、、、、
星の数とか考え出して、宇宙の外側の話に。

そこで今日は宇宙の外側を想像して描いてみようと、ゆいちゃんらしいワーク。







みんなの宇宙の外側のイメージはこんな感じ!

明確な数をはじめ、得体の知れない、
わからないもののなかにわたしたちはいる
そのわからないもの、に目を向ける時間

塾が通いの続くHくんは「頭がやわらかくなった〜」といっていました。笑

2019 1月しぜんの日

1月のテーマ、多と少でしぜんの日

「しぜんの中で多いものってなんだろう?」
 と小出さんがみんなに聞くと

「木!」
「虫!」

と元気のいい声。

しぜんの多と少の話は前にお話してくれた生態系の食物連鎖のこととも繫がって、
みんなフムフムと理解している様子。

例えば子孫の数でもしぜんの仕組みは多いと少ないをちゃんと使ってる
数百個の卵を産む虫、それを食べる鳥の卵は10個程度、またそれを食べるほ乳類は数匹のこどもを、、、

植物だってそう。

私達はたくさんの命の中で生かされてるんだなあ。。。


そんなお話をしてから、虫の冬ごもりを探しに。



樹皮のすきまに、かたまって冬ごもりしている虫たちがいましたよ^^

しぜんのなかで命をつないでいく為に、多い、少ないも必然。
必要な場所に、必要な種類、必要な量がそれぞれがいて生きている。
(満員電車や都会に密集している人間はやっぱりちょっと変だよなあなんて思ったり)


その中で自分は人間という動物としてどこで生きるのが心地いいのだろう?
 その絶妙なバランスをちゃんと感じて、保っていきたいな。

2019 1月テーマの日

2019年になり、最初の寺子屋。
1月のテーマの日はやりたいことがありました^^

まずは記念館にいって、テーマを発表。
一ヶ月に1つテーマを3年間設けてやってきましたが、
みんなそれに慣れていて、今月は何?と興味津々できいてくれます。

当ててみて!いったり、ヒントを出したりしながら興味をもりあげていくのですが、
このときはなんだとおもう?といったらKくんが答えをズバリ。
(勘だそうです。ミラクル!)

1月のテーマは”多と少”。
先月の異と同から、また繫がるように。
多いものが優勢(マジョリティー)になりがちで、異なるもの、少ないものは劣勢に。
数の問題って大きいと思うのです。
また自分の中にある多いと少ないにも目をむけてみたいとおもい、このテーマに。

2018年度の寺子屋では、まず内側(自分と)向き合う事、そして外側(社会・世界)と向き合う事、両方をやっていってきています。
3年目、テーマもワークも密で深いものになってる気がします。


今日は、まずこんな問いかけから始めました。
「家にいる自分と、学校にいる自分、友達でも◯さんといるときと、■さんといるとき、家でもお父さんと話すときと、お母さんと話すときって、自分がすこーし違うなと思う事ってない?」

そう話すと、あるね〜という反応。

「自分の中にいろんな質感、キャラクターがいると思うんだ。例えば佳永さんはね、、」
と、3枚のカードを見せました。

①3歳の幼児の女の子”ちびかえちゃん”
(素直で想像力豊かな女の子、なぜなぜとこの世界にワクワク。作家モードの時に生き生きする)
 ②小学生低学年男子”かえ太郎”
(外であそぶのが大好き、身体を動かしたい!)
③ロシア文学女優
(自他ともに対して厳しい。美的感覚が高い。)


「こんな3人のキャラクターが自分の中にいて、それぞれが強くでてくるとき、扱いが違うんだ。作家モードの時はちびかえちゃんが生き生きする。なにかを鍛錬していくときは女優さんがでてきたり、女優さんは汚い言葉や場所が嫌いだから、それに気をつけてあげたり。みんなと鬼ごっことかしてるときはかえ太郎だね^^思い切り遊べないとすねてひとにつんつんしたりするから、どこかで発散させてあげないとなんだ。」

 こんな説明をしたら、みんな私のことをよく知ってくれているので
ストン、と受け入れてくれたようで!

みんなにはどんなキャラクターがいる?
カードつくってみよう!と 自分の中の多面性を受け入れてもらいたいとこんなワークをやってもらいました^^

 さすが寺子屋のみんなすらすら書きはじめる、、

なかには分かんない、、という子もいましたが、私やさちえさんが
「こんな感じのキャラクターいない?」と提案すると、ああ、いる!となにか引っかかってくれて、そこから感覚を掴んでくれてポンポンとまた違うキャラクターを見つけはじめます。

自分と向き合う事って簡単なことじゃないけど、みんなはそれができるからすごい。
みんな自分自身のこと、よーくよくわかってる。


かき終えたら、どんなキャラクターがいるか、ひとりひとり紹介してもらいました*


「このはるこちゃんは、お母さんと話す時にでてくるけど、お父さんのときは絶対出てこないんだ」

「誰もいない街、っていうカード。自分のシーンとした部分。街だけど、だれもいないの。」

「ジャンプマン、落ち着かない、身体がうずうずしてるやつ。外であそびたいんだよとにかく!元気いっぱい!!」

「ひょうきんな博士。研究実験が大好きだけど、飽きっぽいんだ。」

などなど、、、それぞれの話を聞きながら、みんなが”いるよね〜”と笑いあってて。
ちょっと世間的にはだめそうなキャラクターでも、そういうやつ自分もあるある、と話したり。
その景色に寺子屋がそれぞれの個を認めあえる場所になっている気がして、私はすごくすごく嬉しかったです。

1人の人にも多くのものが含まれている。
形ではないものも沢山つまってる。
今日描ききれなかったキャラクターもまだまだいるでしょう。
分けきれないものだってある。

多くを含む、自分自身を受け入れていきていけますように。
そして、みんなの存在をまるっと受け入れてくれる人や場に沢山出会えますように。