2018年11月26日月曜日

2018 9月からだの日

 これは何をしているか、というと「死んだふり」


テーマの日に「生」をやったので、からだの日は「死」について考えてみました。
 まずは、「死」についてのイメージをきいたり、話をしたりしました。
こわい、と受け入れられずシャットアウトしてしまう子も。
今はみんなこどもで、死というものが大人よりは遠く感じてるのでしょう。

そこでいろんな死にまつわる話をしました。
私がこどものころ体験したこと、さちえさんが出会った猫の死の話、みんなが直面した死の話、、、

「ここにいる私達は、100%死を迎える。
生きるものには死は訪れる。地球だって死を迎えるんだ。
今生きている事が当たり前ではない。
宇宙の中にいることを考えたら、ほんの僅かな時間だよね。
だから生きる事を一杯味わう事が大切だとかえさんは思っているよ。」と話しました。


そして、遊ぼう!!と、からだのワークに。
始まりに、「自分が死をむかえるとき、どんな風がいい?」と聞きました。
すると、ほぼ全員「寝ながら死にたい。」と。
ほうほう、、、苦しまずに眠るようにってみんなにとっても理想的なようです。

その理想のシチュエーションで、死んだふりをしてみます。
あんなににぎやかだったのに、一気にシン…とする部屋。
(死を拒絶していた子はふざけて走り回っています、、)


死んでいることを確かめに、こちょこちょしてみると、
ぴくっと反応してしまい、笑い出す子、
我慢強い子、なんにも反応せずほんとうに上手に力を抜いている子、いろんな反応がみえました。
みんなどんな気持ちになったのでしょう。

生き返って走り回っては、地球が爆発した時の死
急に心臓が止まった時の死
戦争の中での死

いろんな場面を体験してみました

さちえさんの話から、猫になったら、死をどう迎えるか?もやってみました。

しばらくは生きている猫で遊んでいますが、死を悟ると静かにみんな身を隠しました。
やってみると、生き物の性質の違いが分かるような気がします。
次に、亡くなった人を綺麗にして送り出す仕事があるんだよ、というお話をして、
みんなにそれを体験してもらいました。
まずは2人で。一人が力の抜けた身体で寝転がり、もう一人がその身体を丁寧に動かし違う場所に置く。
なかなか難しいようで、どう動かすか頭と身体を使って考えていました。

最後にみんなに
「かえさんが死んだとして、綺麗にして、着替えさせて、死化粧をして、棺桶にいれてみて。」

まあ、お化粧とかはふざけて雑でしたが(笑)
力の抜けた大きな人をどう動かすのか?!みんな四苦八苦。
なかなか動きません。

「重い〜〜〜〜!!」
「生き返れ〜〜〜〜」
なんて無理な事いってました。笑


端から見たら不謹慎なワークなのかもしれないけれど、
なかなか直視することを避けてしまう、死というものを
遊びながら、身体をつかって見つめてもらいました。



死が受け入れられてこそ、生を実感できるような気がします。
まだ小さいみんなだけど、少しでも受け入れてもらえたらいいな。

2018年11月18日日曜日

2018 9月テーマの日

とある事情で更新が遅くなっております
(ご愛読いただいている保護者のみなさま、ごめんなさい〜)

さて、ようやく9月の寺子屋日記です。

9月のテーマは「生と死」


なぜこのテーマにしたかというと、寺子屋のみなさまはご存知の通り。
知らない方は、下記の記事で^^
生に関する事も、死に関する事も起こった夏でした。
私は親族の死がこの夏、二度もありました。

寺子屋では常に、理論ではなくて、現実に起こった事を話す事を大切にしています。
私が小学生の時に何を思っていたか、どんなことがあったか、
どうやってくぐり抜けてきたか、そして今なにを思うか、など。
 そんな話は、みんなすごくよく聞いてくれるし、
共感をしめしてくれるのです。

ということで、テーマの日はまず、『生(せい)』についてはなしました。
そもそもみんながどうやってこの世に生を受けたか。
男女の違い仕組み、性行為の仕組み、受精から体内の成長、そして生まれるまでを
図鑑や絵本や映像でみんなに真剣に丁寧に説明をします。

小学校の時に高学年になって
ようやく保健の授業で性別ごとになぜかクラス別れて
上記の事を授業受けた時、小学生の私はすごく違和感がありました。

なぜ男女別れる必要があるのか?
なぜ小学校5.6年なのか?

どうやって自分が生まれてきたかはとても幼い時からずっとずっと疑問でした。
そのころに、尊いこととして、真剣に話してくれる人がいたらなと思っていました。
小さな子だって、話し方次第で伝わるのに。
(3大欲求の一つで生に直結しているのに、どうして日本は隠しがちなんだろう?)

みんなの反応はというと、
小学生らしくきゃーきゃーいったりもする部分もありましたが、
話し込むと結構真剣に聞き入り、見入り、そして納得していました。

その姿をみて、勝手ながら話してよかったなと思いました。
(性行為はスキンシップや愛情表現のひとつでもあるけれど、その行為は生を迎える行為である事、色んな要因で堕胎という事が起きてしまう事、さまざまな環境があること、そうならないようにむかえられないときは避妊する事、もきちんと話しました。)

そしてその流れの最後に、エコー写真をみせました。
「だれのお腹の中だと思う?」 
と聞くと、
「◯のお母さん?」「ぼくがお腹にはいってたとき?」
という声が。
「実は、これ、今のここ(私のおなかを指して)の写真なんだよ」 
というと、みんなは一瞬ぽかん、としてから
「…えーーーー?!かえさんあかちゃんできたの?!えーーーー!!」
とびっくりして、ちょっとの間があってみんなその事実を飲み込んだのか、
誰からともなく、パチ、パチパチパチ …!
と拍手がわき起こったんです;;
「おめでとう、かえさん」と言葉や拍手で表現してくれたみんな。

その反応が心底嬉しくてしかたなかったです。
ありがとう、みんな。


「寺子屋、どうなるの?!」としばらくして心配そうに聞いてきた子もいて、
4月からすこしお休みさせてもらうけど、それまではやるよ^^
あかちゃんが落ち着いてきたら、またみんなで集まれる機会をつくろう、と話しました。
 まだ手には触れられないけれど、
命を感じながら、私の変化を目の当たりにしながら、
過ごす寺子屋のみんなはどんな気持ちになるんだろう。
お腹の子と変わらないくらいみんなの事が大切だってこと、みんなもそのくらい自分のお母さんに大切にされてきたこと、残りの時間で身を持って伝えていきたいな。と思います。


帰りに、ママもパパとしたの?と聞いてる子も。
ママもそりゃあね!と答えていらしてなんかいい光景でした。
自分が2人の想いの固まりだって分かったら嬉しいですよね。
子どもの自己肯定感の最大の基盤はそこにあるんじゃないかな…

 みんなと、この生(せい)を存分に生きられますように