2019年4月11日木曜日

2019 1月空間の日

1月、多と少のさちえさん(空間)の日


さちえさんは「男と女、どっちがいいと思う?」
とみんなに質問。

男の子は「男!」
女の子は「女!」

なんで?と聞いてみるも、だって…、、、、のあとに続く言葉が支離滅裂だったりする。

じゃあチームにわかれて、相手を説得してみよう。と提案。
男子はふざけて、説得出来る理由がぜんぜん出てきません、、、。
 どちらも数としては3:3だったので、多い少ないが発生するテーマに変更。
 多い少ないのロールプレイをしてみようという試みをしてみたかったのです。

まず、総理大臣と大臣たち(多)、国民(少)で4:1で、
戦争をしたい多としたくない少でロールプレイをしてもらいたかったのですが、
なんででしょう、ワーワーぎゃーぎゃーになって、まったく対話にならない、、、、。

 ならば、みんなの置かれている環境にフィットするほうがいいのかな、と
先生(私)と生徒(みんな)で、やってみようと、こんな設定にしてみました。

”国から小学生を英才教育するために授業を8時間にするように”と指針がきた。みんなの意見を聞かせてほしい。先生を説得できれば、先生が国にも訴えられるかもしれない。


ということでやってみたのですが、、、、、
「やだ!逆にバカになる!!」「ストレス溜まる!!」とかなんでしょう
直接かみつくような言葉しかでてこず、、、

しまいにはあきらめの境地なのか、
「ゲームくれるならいいよ」と言いはじめる始末。
「もっていないゲームね」だって。

思考の停止なのか?!
(この言葉を聞いて私はちょっと血の気がひきました。。。 )

そこでさちえさんに先生になってもらって、私も生徒側に。

「そもそも、みんなが同じ授業をして、みんなが同じようにできるようにならないといけないって思ってる?」

と聞いてみると、「そうだよ、大人になったら困るもん」とKちゃん。
そのことばに「そんなに困らなかったなあ」とさちえさん。

確かに文字とか、基本的な計算とか、ベースで大事なものはあるけど、つかわないものだってある。
逆にかえさんのダンスみたいに学校で教えてもらえない事で自分で学んで、仕事にしてることだってある。

(私は割と優等生でしたが、なんでなんでちゃんだったので、
心の中でなぜこれを勉強しないといけないのか、をいつも疑問に思っていました。
ただ詰め込むだけではなく、どう生活に繫がるのかをこどもたちにもつたえるべきと思うんです。そしたら納得して学ぶとおもう。)

ロールプレイに戻り、
みんなに、こういうとき、いやだ!!とマイナスの意見をいうこともできるけど、
出されたものを超えるプラスのアイデアを出すっていう方法もあるよ、と伝え

「8時間だとしても、たとえば理科が得意な子がいたなら、その子の研究の為の時間を増やすとか。」
「他の国では、自分のうける授業を自分で決められたりするところもあるよ。」
「8時間にする分、1コマの時間を減らす、学校を週に3回だけに集中する、他の日は宿題ではなく自主的な自分の学びのためにつかうようなシステム。どう?」

そうみんなに問いかけると、
「いいね、それなら好きな物に集中出来る。」
「自分で決めたい!!!」

と賛同する意見がでてきました。


もう戦後から頑に決まってしまった一斉教育の教育システムのなかで
いつしかみんなの頭も頑になってしまったのかな。。
時代は平成も終わる。

どうにかこどもたちの持っているきらめきを奪わない教育になってほしいと願っています。

このころ、ぎゅうぎゅうに受け身の教育をされているせいなのか、
メンバーの組み合わせのせいなのか、最近の金曜日のメンバーは
テラコヤにくると、とにかく発散したい!のエネルギー100%になっていて、
とにかく話ができませんでした。
(動物園の肉食獣の檻の中にいるみたいなかんじ、、私が半泣きになってようやく話をきいてくれるという、、)

このロールプレイも含めて、 寺子屋でやってることはなんだって遊びなんだけど、
型にはまっていく時代をすごしているみんなは
遊び=ドッチボール、ゲーム、と頭の中の方程式内の決まったものしか遊びと思っていない様子。 もっと話せたのになあ、、どうしたものか;;と。
 

(今思い返すと、その様子はみんなからのSOSでもあったのかな。 )

でも、少数を体験したみんなは、意見がとどかないことへの怒りや、動揺を体感できたようです。

無関心でもなく、多い物にとりこまれず、長いものにも巻かれず。
自分の意見をしっかりもって、言える人になってほしいなあ。

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