2018年12月17日月曜日

2018 10月ゲストの日

10月のゲスト”善と悪”のテーマに合わせて御呼びしたのは
僧侶である知人、鈴木さん。

彼とは群馬の芸術祭で出会いました。
私は作家として、彼はそれをみにきたお客さんで。
お坊さんですが、いろんな活動をしていておもしろいなあと思っていました。

そしてはるばる山梨からきてくれることに!

 「なにをやるか、あって話しましょう。」と連絡を取り合っていて、
そのなかでこどもたちと対話をしたいね、となり、
当日みんなの様子をみて善と悪の中の議題を決めようとなりました。


まず寺子屋にきた鈴木さんはこどもたちとたわいもない話をしながら
様子をみていました。
そして記念館に移動する時に、
「こどもたちが”殺す”という言葉をたくさん使っていて、気になるんだ。
だから今日はそれを議題にするよ。」

それを聞いて、私は、
「お願いします!!!!」と二つ返事でお願いしました。


小学生男子特有のアレです、
覚えたての危ないナイフのような言葉をつかいまくる時期。
周りを威嚇するというのかなんというのか、、、。
もちろんつかわない子もいるんですけど、本当に言葉が悪いときがある子がいる。
言霊の話なんかもしてるけど、やはり周りの影響力も強いんでしょう。
なかなか困っていたのです。

鈴木さんは、みんなにまず自分の話をしてくれました。

「鈴木さんは、お坊さんだから、人の死によく立ち会うんだよ。
みんなも家族の誰かが亡くなったりして、
お葬式をしたり、お寺とかいったことあるかな?」

「なにかが死んだときってどんな気持ち?」 

という問いかけにみんなからは
行った事あるよ、
 親戚が死んだとき、飼ってた生き物が死んだとき悲しかった、
お葬式いったけどまだ小さくて分からなかった、などいろんな答えが。


「あのね、お坊さんって殺生をしないんだ。
修行の時は、お肉とかも食べないし、蚊も殺さない。
そしてお仕事で、たくさんの死と立ちあうから、
今日はさっきアトリエでみんなを見ていて気になる事があったよ。
人に向って”殺す”ととかフザけているのかもしれないけど、口にしている事。」

 その言葉に、心当たりのある子はギクっとしています。

そこで私は実際文字にして書いてみました。
その文字をみて、みんな一斉に
「こわい、、、、」と引いていました。

「使ったことあるひと?じゃあなんで使っちゃうんだろう?」

みんなからは
ゲームとかやってて、とか、なんとなく 、という答えが。
(ゲームの影響力、すごいです、、殺す!とかしねしね〜!
といいながらやっているといっていました、、)


「じゃあそれをゲームではくて、現実に言われたらどんなきもち?
さっきはみんなゲームに向ってではなくて、友達に向って言っていたよね。
鈴木さんは言われたらすごく悲しい。」


「嫌な気持ち」と素直な子も入れば
なおもふざけて「嬉しい〜」と言う小2Hくん、、。
(でも隣で私が本気で、そうなの?じゃあHくんに言ってもいいの?と聞くと嫌だ、、と。なんでふざけてしまうんだろう、、涙)

さちえさんは
「さちえさんは、息が詰まるような感じでドキッとする、ぎょっとするような、、、。」


「言われたら悲しいし、嫌だなというのはわかってるけど
でもゲームの時とか、ケンカの相手とか、敵につかっちゃうよ」
という声に

新しく入ってくれたSくんが

「敵なんてどこにもいないよ」

と一言。


ああ、なんていう真理!
この子の懐の深さを知りました。

そういうところ、大切にしてほしいな。



寺子屋のみんなは、対話の時に自分のことばを言える子が多くて頼もしい。
(半面、黙ってしまう子も少数いて、
その子たちには個々に私や幸恵さんが声をかけて話を聞いてみたりしています。
生きてく上で、対話って大切だとおもう。その力もつけていった欲しいな。)


そしてこの日から、
寺子屋の約束に”殺す、死ねなどの言葉はつかわない”というものが増えました。


言葉のエネルギーにも善悪があるのかもしれない。
自分の口から発する言葉は自分の耳に一番早く大きく届くから
なるべく善いエネルギーの言葉をつかうことも、
人生をよくしていく秘訣なんだと思う。

みんな、すこしづつでも実感してくれるといいなあ。


鈴木さん、丁寧な対話の時間、ありがとうございました!

2018 10月空間の日

10月の空間の日。
さちえさんはとっぷりと善と悪についてみんなと対話してくれました。


色んな質問をこどもたちに投げかけていきます。

「みんなの思う善と悪ってどんなこと?」

「うーんとね、人を傷つけたり、何かを盗んだりすること?」

「人を傷つける、たしかにそうだね。
 でも人に傷を付けることでも悪ではない事があるのかもしれないよ?
 同じ行為、たとえば刃物でお腹を切る。
人の命を助ける為に、お医者さんが手術で行うのと
人を殺す為に、やるのと、どうちがう?どちらが善?悪?」

そんな問いに、最近ふざけたがりちゃかしたがりのみんなは
「どっちも悪!!!お医者さんも悪!!!だって痛いもん!!!」
と笑いながら言っています、、、。

でもさちえさんは
「へえ〜そうなんだ。」 と一度聞いてくれる。

そしてもっとみんなの身に近い例え等で真剣さを引き出してくれます。

「じゃあ、Kちゃん、
おばあちゃんはKちゃんが空手を続ける事は善だとおもって続けなさいと言ってるんだよね?
でもKちゃんにとって今空手を続ける事は自分にとって善とは思えないんだよね?」

「うん、だって他の事やりたい。
でもおばあちゃんは全く私の意見を聞く耳を持ってくれない。大人の言う事は聞きなさい、って。」

「それは嫌だよね、自分の善悪を人に押し付けるのは。
もっと自分の想いを大切にして、訴えていいんだよ。」
と私も幸恵さんもKちゃんに声をかけました。

そんな話などをしたら、どこか安心したような表情に。
そしてそこからぐっと入ってきてくれる。

そこから、「善悪は人でも、立場でも、規模でも変わっていくんだよ」
という話をしてくれました。

「世界―社会(国)―大人(親/学校など)―みんな(個人)それぞれで善悪やルールって違う事があると思う。たとえば今の社会は人殺しは悪としている。
でも戦争の時はそれが国のため、善になったんだよ。」

そうさちえさんが話すと、みんなはとても理解に落ちた反応をみせてくれます。

そう、こんなことも起こる。
起こった時に、なにが大切なんだろう?


「もちろんそんなことしたくない、戦争にいきたくない人も沢山いた。
そうして罰せられてしまう人もいたし、自ら命を絶ってしまう人もいたし、
きっと沢山の人が思い悩んだと思う。

社会が許してくれなくても、周りを善悪が合わなくても、
”自分の感じる事”を大切にするべきなんじゃないかな?」

ハッとした顔のみんな。
そっか、それでやっぱりいいんだ、という顔をしています。

そこで私は
「そして、少しの勇気をもって、声を出すことも大切だと思う。」
 と言う話をしました。
私が小学生の時にクラスの中のいじめを止めた話なんかをしながら。


「周りの善悪がおかしくなってしまったりした時に、
近い考えをもつ仲間がいると、力になるんだ。
このピラミッドみたいに、大きな規模の事をきめる人は、社会の中の少数の人間だったりする。このピラミッドの下、民衆の力は大きくて、そのおかしな善悪を変える力がきっとあるよ。」

「こういう話はなかなか友達としにくいかもしれないけれど、
真の友達だったらできるはず。私とさちえさんみたいにね^^
そういう仲間を見つけていってね。そうするとオトナになるのも楽しいから!」

さちえさんの日、そんな話をきいたみんなは、
最後には希望をもった目になっていました*
(友達とそういう話、してみよう!と言っている子、
クラスのあいつ戦争好きとか言ってたから意見合わないな、と言っている子もいました。)


みんなまだ、社会全体とはいわなくても、
大人や学校、友達の中など、周りに善悪の理不尽は一杯あって、
その理不尽さに抗いたくても、こどもだからと
大人や影響力のある人の善悪を押し付けられていることも多いと思います。
変だなと思っても、飲み込まないといけなかったり、聞いてもらえなかったり。
そんな小さな我慢や傷は蓄積し、いつしかその圧力に息が出来なくなったり
歪ませられてしまうこともあると思う。そんなことに大人は気付かずに。

だからこそ、寺子屋では
みんなのなかの軸をみんな自身が大切にできるように寄り添いたい。

私はこどものころ、親や学校や社会などから
それを感じるたびに、こころの中までは支配されないようにしていました。
早く大人になって、自分の意思を示して生きていけるようになりたい、と思っていました。
みんなのこの日の姿をみて、そんなことを思い出していました。

かえさんは、みんなが自分に正直にいられるように、応援しているよ。

2018年12月12日水曜日

2018 10月しぜんの日

10月のしぜんの日は秋さがし!


「秋だ、と思うものを10個みつけてごらん」
と小出さん。
 からすの羽とか、木の枝とか、秋とは言いがたいものも沢山持ってきたみんなですが
答えあわせ。なんとかみんなで10個集まったかな?
どんぐりの季節がきましたねえ〜


それから、秋、ということでいろんな種さがしです。
これ、去年(一昨年?)もやったんですが、新メンバーも多いので再チャレンジ!

くっつく種、ころがる種、飛んでく種、など
6パターンの種の種類を見つけて集めてくるワークです^^

早速説明を受けて探しにいくみんな。

「あった〜!!」
「ないよ〜〜〜〜?どこにあった?」と協力しながら行う姿もみれました^^


そう、この枯れ葉(杉だっけ、、、)燃すと匂いがするんです。
おせんこうのにおい!

そんなことをしている間にみんな集まってきました*
こたえあわせ〜


 すごいすごい、みんなちゃんーんと集めてきました^^
秋を存分に感じたしぜんの日。
こうして冬を越して、その種がまた春に芽吹くんだね*
お部屋に戻ってからはみんなあつめた転がる種、どんぐりをつかって、
だーいすきなコマをつくりドングリゴマ大会!!!!

これが毎年大盛り上がり^^

しぜんのもので遊べるって、地球にいること一部でいることを感じられて
豊かだなあと思います。

みんな大切そうにもって帰っていました♪

2018 10月造形の日

10月のテーマ”善と悪”

ゆいちゃん、じっくり考えてきてくれました。


「私、善と悪について考えていたんだけど、わからないんだ。」
とゆいちゃんらしい言葉。
はっきりとした境目、区別がいろんな視座に立つとわからなくなってしまうとのこと。

確かにそういう部分はありますね。
そこで自分自身がどこに立っているか、その上でどうみていくかが大切だったりもします。


そして、ユイちゃんはこんなワークをしてくれました。
「私が普段使っている、大切な色鉛筆もってきたんだけど、
みんな赤系とか青系とか、色別に分ける事できるかな?」

とたっくさんの色鉛筆を広げてみんなに配ってくれました。



そしてみんなは3チームにわかれて協力して
色鉛筆を分けていきました。

わからない色は、描いてみて、どこに分類するか各自判断していきます。



 やり進めていくと、グループに分けるのは難しくいことがわかってきました。
そして、グラデーションにならべていく、という結果に。
そうなんだよね、どこかに線を引くってすごく難しいこと。
「ここからが善で、ここからが悪」 と決められない事もある。

そんなことがこのワークを通してみんなに伝わってくれたのかなと思います。


もちろん、対になる事(今年のテーマ) はすべて線を引くのは難しいことです。
視点によって、その線もかわる。

だけど、この世の中で生きる以上、
自分の中で線をひくことをしなくてはならないと思います。
(例えば、人に暴力を振るうのは 善くない、とか。)

わからないよね、グラデーションだから、とそこで思考を終えて
考えるのを放棄するのではなく、
双方の意見を聞き、視点を理解し
その上で自分はどこに線を引くのかを自分に問える人、
そして自分の意見をいえる人であってほしいなと私は思います。


(あと、なんだかどこにいれたらいいのかわからない不思議な色も各自選んでもらいました。これがみんな絶妙な色を選んでいましたよ。そういういろ色、言葉にははっきりできないようなこと、自分にとってとらえにくいもの、分類しずらいこともあることを認めるというのも必要なきがします。)
 みんなが描いた色を確認する紙の落書き。
意図しない線が、いい感じ^^


帰りには、最近大好きなポコペン。
電柱に成りすますTくん、、、!
少しかんしゃくもちだった彼がおちゃめになっていて、
なんだか感動してしまったのでした。

わからないこと、分類出来ないこと、区別しづらいこと、、、
生きていくと沢山あると思います。

でも社会は、分類、区別したがる。
管理しやすいから。


そこで自分がその分類を、その区別を、カテゴライズを当たり前と思わず
その色、その人を、その事を、どう感じるか
しっかり見つめられる人になってほしいなと思います。◯

2018年12月9日日曜日

2018 10月テーマの日&からだの日

10月のテーマ
とても悩んだのですが、これにしました。




まずは、テーマの日。
「今から絵を描くから、クイズのように今月のテーマ、当ててみて!」
と導入。


◯を書いて、、、その中にまた小さな◯と、点と、、
「あ、
アンパンマン!!!」

そうです、アンパンマンを描きました。
「ということは、いつもみたいな▲と▽のテーマはなんだろう?」
と問いかけると

「甘いとしょっぱい?」
「食べる物と食べれないもの?」
と割とシンプルな発想の答え。

そこでヒントを出していくとでました、答え。
「善と悪」
そうです、10月のテーマはこれ。
個人的にこの発想自体がなんだかなーと思っているのですが、
最近のみんなの様子をみていると、これに取り組む必要を感じていました。

何がよいか、何が悪いか、外から植え付けられている気がするんです。
それを鵜呑みにして友達に押し付けて、ケンカになったり、
自分のどこかで疑問に思っても学校でそういわれたから、となってしまったり。
「それいけないんだ〜」という小学生特有のアレがよく聞こえてきたり、、。

そんなこんなで、善と悪に取り組む事に。

みんなにまず、アンパンマンとバイキンマン、どっちが善でどっちが悪?と聞きました。
「アンパンマンが善で、バイキンマンが悪!」
と最初は満場一致の声。

「でも、かえさん、バイキンマンをじっくりみてるとすごくクリエイティブだし、
いたずらはするけど、いっつもそこそこでやっつけられてとどめは刺さないし、ドキンちゃんには優しかったりもする。なんか悪いやつ!とは割り切れないんだよね。
どうなんだろう?バイキンはバイキンで必要な場所があって。」

 と話すと、
「確かに、、」とみんな
「アンパンマンの方が頭がころころかわったりして怖い。」
「そうだそうだ!バイキマンは善でアンパンマンは悪!」(←そういうはなしでもないんだけど、、汗)

そこでまたちょっと違うたとえ
「桃太郎の原作に近いものを読んでみるとね、こんなパターンもあるの。
鬼は桃太郎に懲らしめられて、反省してみんなで謝った。でも桃太郎は許すまじ、と鬼を皆殺しにした。めでたしめでたし。
これって桃太郎が善といえるのかな?鬼は悪なのかな?
桃太郎の諸説には、鬼のモチーフは海賊という言われがあって、海賊ってモノを盗みながら生きていく。
もちろんこの社会で盗みはよくないけど、そこでそだったこどもたちは、そうして暮らす事しかしらなかったら、それを悪とは思っていないのかもしれないよね。」

そしたらみんなも「確かに、そうだね。」と。

あと、みんなの身の上の分かりやすいたとえ
「学校で廊下を走る事はいけない(悪)ってルールない?」
と聞くと
「ある!でも先生走ってたんだよ!」
 「走っちゃう時もあるし、、、」というみんな。

そこでさちえさんが
「もし友達が大けがして、いそいで助けないといけない時、
ゆっくりなんてあるいてられないよねえ。」
とナイスな一言。

そうそう、もちろん、出会い頭でぶつかったら危ないから、
いつでも走っていいとは思わないけれど、これも善悪が時と場合によるよね〜


あとはもう少し大きな視点
「たとえば戦争中にある国で、それまで仲良く暮らしていた一部の民族を
急に”悪”と決めつけて、殺していった。ある日、急に悪にされてしまった。」



”善と悪って、環境や立場、個人によって全然違うんじゃないか”
”団体をまとめるためにルールができて、善悪があることも事実”
”でもそのルールを守りすぎたり善悪を過信してしまうとどうなのか?”

ということを話してみました。


そこから、体感する為にからだのワークに。
まず、椅子で部屋の中に檻をつくります。

そしてみんなはお部屋の中で自由に遊んでいます。
でも国からおふれが出たら、善の人が悪の人をみつけて、
檻にいれる、というゲーム。



私が適当に考えたおふれを出します。

ある日こんなおふれが出ましたとはじまって、、、
「ハンカチを持っている人は善、持っていない人は悪。この国にはいりません!」
とか
「手腕にほくろのある人は善、ない人は悪、捕まえて!!!」
とか
「A型とO型は善、それ以外は悪なので追放せよ」
と思ったら、
「A,Oが増えすぎました。逆にAB、Bが今は善です、AとOは追放!!」
とか。。。。


鬼ごっこみたいなので、みんな大盛り上がり。
(ちょっと意味を考えると怖いけど)

様子をみていて、だれかこのルールに疑問を持たないかなと思ってたけど出てこなかったので、追いかけ回っているみんなに一声かけました。

「自分がこの善悪のルールに従いたくなければ、声をあげていいんだよ。」

そういったら、みんなと一緒にあそんでくれていた幸恵さんがふと止まって
「私、お父さんとお母さんと私と血液型がAとOとB。みんなバラバラになるなんていやだな。どっちかが悪になるなんて。一緒に暮らしたい。」

その声を聞いて、みんなハタ、と止まり
「そうだ!こんなの変だ!」
「みんな仲良く暮らしたい!」

そしたらこの国から脱出しようか、と言うと

「南の島にいこう!!」
「いこう!!!」
と夢を膨らませ、あの殺伐とした空気がどこへやら。


ふふふ
大事なこと、つたわったかな。◯

個人の声が、世界を変えていくかもしれない。
長いものに巻かれずに、
自分の感覚を大切にしてほしいなと思います。

2018年12月8日土曜日

2018 9月ゲストの日

生と死のテーマにだれを呼ぼうかなあと考えていて、ピンときたのは
アーティストの荒木美由ちゃん。

そうです、遠足にも参加してくれて、
去年”待つ”というテーマを石膏のワークなどで昇華してくれた彼女です。

代表作として石に穴をあける作品をつくってきた彼女。
彼女のアーティストとしてのそもそもの作品の根源となるところが
生と死に繫がっていて、もう一度きてもらいたいなと思ったのです。


どんなワークをしてくれるかなあ?と多分私が一番ワクワクして迎えた当日。

まずみゆちゃんはこの紐やゴムや毛糸を取り出して、
こうこどもたちに投げかけました
「どれが生きてると思う?」


どれも生きていないというかなーと思ったら
みんなどれかしらえらんで「これ!!」と指を指します。

ゴムを選んだ子に理由をきくと「動く(伸びる)から!」
毛糸を選んだ子は「ふわふわだから!」(なんじゃそら!笑)

そこで「ふむふむ、そしたら、燃やしてみよう」とみゆちゃん
 匂い嗅いでみて、と一本ずつ嗅がせてくれました。
ゴムも、アクリルの毛糸も、「くっさ!!!!!」と悶えるみんな。笑

唯一「いいにおい!」と言ったのは綿の凧糸。
とたんに「いいにおいだから、これだ!!!」といっていました。

その様子をみて、櫛を取り出したみゆちゃん。
自分の髪の毛を指差して、「これって、生きてる?」とみんなに聞きました。
「うん、生きてる」

よし、じゃあ燃やしてみよう。と髪の毛を燃やしてみます。
「なんだこれ、くっせ〜!!!」と大騒ぎのみんな。

「そうなんだよね、生きてるものをもやすとくさかったりすることも多いんだよね。」
みんなは「じゃあ、さっきのゴムの方がやっぱり生きてるの?」と不思議そうな様子。
「どうなんだろう??」と答えを出さないみゆちゃん、さすがです。
 そのあとに、みかん味のお菓子を取り出しました。
「じゃあこれは生きてる?」
「死んでる!」「生きてる!だって食べれるから」

次に本物のみかんを取り出して「じゃあこれは?」
「生きてる!!!!」
「食べていい?!」と、嬉しそう、、、、、

「皮を剥いたら、死んじゃう」
「ヘタのところをとった瞬間に死んじゃう」
それぞれの意見がありました。
うーん、みんなの感覚が新鮮すぎて、私はへえ〜とそれぞれの意見をきいたり様子をみていました。

次はみかんジュース。「生きてる!」「死んでる!」これも意見が割れます。
どこの段階で死をむかえるか、それぞれで境界線が曖昧なよう。



それから、みゆちゃんは付箋を取り出して、こういいました。
「この部屋にあるもの、生きてると思うものに赤、死んでると思うものに青、どっちかわからないものに黄色のこれを貼ってみようか」
 (同じ人形に違う色を貼ってふざけております、、、。理由は目にあると言ってましたが、、、)
 (中に生きた虫がいるのですが、なぜか黄色)
 (ふざけて自分の右の顔、左の顔、鼻にそれぞれ違う色を貼るの巻、、)
やんちゃな金曜日のメンバーはふざけ気味、、、涙
でも楽しそうにやっています。

それから、今度は公園に行って、同じ事をしてみようと。



 ベンチの木は、死んでいるらしい
 めがねに付箋を貼らてしまうみゆちゃん、、ごめんよ、、
 木は、生きているよね
 死んだ蚊に上手に貼っているの巻
 枯れ葉は死んでるのかなあ
 なぜブランコが生きていると思ったかは謎です。

多少ふざけもありましたが、たくさんのものに貼ったみんな。
やはり外の方が生きている物が多いことに気がついたかな?
だからみんな外がすきなんだよねえ


それから、次のワークに。
安全にテープを巻いた線香をもたせてくれました。
「死んだものに捧げるんだよ」とみゆちゃん。
静かな気持ちであるいて、テラコヤに戻ります。
 そしてその線香が消える前に、彼女の作品の行為でもある穴を開けるワークをしました。
今日はティッシュに穴を開けていきます。


こげていくもの、熱さ、いろんなことを感じながら生きてる実感ができたかな。

いろんなワークを通して、生と死の存在、そして両者の見えない境界線を感じた日。
こんなにもナチュラルに小さい人たちと大きなテーマで遊んでくれたゆいちゃん。
さすがです。


いつもありがとう!!!またきてね!!!

2018 9月造形の日

9月の造形の日

まだまだ死に対して遠いみんな
ゆいちゃんにお願いして、死についてのワークをしてもらいました。


南米の国のお祭りのようなお葬式など(みんな踊ってる!!)
まずは色んな国のお葬式の動画をみせてくれました^^

いろんな国の動画をみながら
笑ったり、なるほど、と思ったりしているみんな
いろんな死生観が在ることを火曜日メンバーも吸収していきました
 そのあとに、ある国の職業の話をしてくれたユイちゃん
「とっても独創的な棺桶をつくる職人さんたちがいる国があるの!みてみて」

とその国の動植物やいろんなモチーフで色とりどりの棺桶をみて
「おもしろい!」とテンションが上がるみんな。


「じゃあ自分が入ってみたい、自分の棺桶をつくってみようか!」

ということで、自分の棺桶のデザインをはじめました*
(言葉にするとシュール、、笑)

 なにかをつくり出す時のみんなの集中力ってすごいんですよね
 寺子屋に戻って、作品を仕上げて発表!
3姉妹の木の棺桶(3人で入れるらしい!優しいお姉ちゃん、、)

自分の好きな物だらけの棺桶(上部に算数、まわりに鍵盤など)
 じぶんのあだ名から”いがぐりの棺桶”青バージョン。
(丸みをもたせるためにがんばりました!)
 実験好きの子は、フラスコの棺桶(死んだ身体は液体の中に浮かんでいるい、、、!)

生き物好きの子は、やもりの棺桶!かわいいなあ〜

この棺桶はとうもろこしの棺桶(とうもろこし好きらしい、初耳)
参列者は亡くなった人をみながら、ひとつぶづつ食べるらしい!!!衝撃!!!

それぞれ、転がして運んだり、やもりが動いたり、液体のお陰で腐らなかったり、

いろんな機能があるみたいで、せつめいしてくれましたよ♡


 
もちろん、お別れは悲しいけれど、死は誰にだって、いつだって起こりえる事。
遠ざけすぎてしまわずに、受け入れる力をこんな遊びを通して得てくれるといいなあ*