2020年7月5日日曜日

2019 2月 映画の日

2月はテーマに合わせて、映画をみに行きました*

”みんなの学校”という映画です。

障害の有無を問わずに受け入れている公立の小学校のドキュメントです。

先月のテーマが、多と少だったので、テーマが体に入ってから
この映画をみんなとみたい!と思いました。

障害って?普通って?多いから普通?などとマイノリティー/マジョリティーの話、
多いほうが正しさなのか?多様性って?ということについて対話して、迎えた当日。

保護者の方も付いてきてもらって、池袋までみんなで見に行きました。



ちょっと途中グダっとしてるかなーという子もいたけど、
映画が終わった後、何を感じた?と聞いてみると案外しっかり観てくれていたようで、意見を言っていました。


「いろんな子がいていいなと思ったよ」
という子もいれば
「変なの」という子も

なんで変って思ったんだろう?と聞きながら対話をしてくと
その子の中での”普通”が現れてきました。

その”普通”に疑問を投げかけると、確かに、という表情。
みんなの中に普段の学校との”違和感”が生まれ、
その違和感て何?とフォーカスする時間に少しはなったかなあ



池袋の公園で遊んで帰路につきました*
いろんな世界を受け入れ、共に生きられるようになってほしいな

2020年7月4日土曜日

2019 2月テーマの日

しばらく書き止まってしまっていたブログ、記録のために更新します*

2019、2月のテーマは『大と小』

大は小を兼ねるのか?
小さいことは劣なのか?

大人は正しい?

小さい人は未熟?

そんな問いかけの後、体を使って、どれだけ大きくなれるか、小さくなれるか
と遊んでみました^^











いろんな形が生まれます

小さくなる方が、人とくっつくから、なんかみんな照れながら優しい顔になっていました。

このテーマでみんなの中に何が生まれるかな?

2019年4月11日木曜日

2019 1月ゲストの日の作品

1月のゲスト、パトのワークでとった写真作品♪

後日現像したフィルムカメラの写真と、選んだデジタルカメラの一枚とを台紙にはってみんなに渡しました^^




  人生ではじめての写真作品かな*
それぞれの視点がみれてそれぞれのカラーがでてて嬉しかったなあ。

フィルムカメラ、こんな風にとれてたんだあ、とみんなも楽しみにしてくれてたみたいで渡したら嬉しそうでした^^


多と少の一ヶ月、なにかみんなの中に残ってくれたかなあ。◯


2019 1月ゲストの日

1月の多と少でのゲストは、パトリック・ツァイさん。


アメリカからやってきた台湾系アメリカ人の写真家、パトリック。
アメリカにいてもアジアにいても、アートの世界でも、マイノリティーでアウトサイダーだと自覚しているらしい彼。ゲストにぴったりだと思いました。


1月の初め、パトと打ち合わせをしたあと、障害のある方がたのパフォーマンスを一緒にみにいきました。(パトは障害のあるかたと過ごした日々のマンガも描いています)
そのパフォーマンスのアフタートークでも、多と少という言葉がでてきました。

多と少を考えた時に、やはり少ないがマイノリティーになる。
マイノリティーとマジョリティーの関係って数の影響はたぶんにある。

世界に指が3本の人がほとんどだったら、指が5本あることが病気と呼ばれたりするのかもしれない。
耳が聞こえない人が世の中のほとんどだったら、耳が聞こえる事が障害とされるかもしれない。
多いほうが優勢でマジョリティーになってしまう。
仕組みとしてはしかたないのかもしれないけれど、 ただ多いからそれを当たり前、とは思いたくない。

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さて、寺子屋のワークは、というと、、、、、、
 記念館にいって、まずはパトリックは写真の話をしてくれました。
 写真でも、芸術としての写真がある。作品の取り方も色々あるんだよと。
構図を決める、モチーフからつくる、偶然を面白く切り取る、、、など。
パトの作品はもちろん、色んな写真家のものをみせてくれました。
(うめかよさんの作品とか、みんな食いついてみて聞いていましたよ)


それから、みんなも作品をとってみよう、ということで、説明をしました。

” この部屋の中で一番気に入った物や人をつかい、構図をきめて、一カ所をとる。
その一カ所(同じ被写体)を、2つのカメラを使ってもらい、2枚の作品をつくる。”

2つのカメラをつかうときに、それぞれルールがあるよ。と。


★一つは、まずデジタルカメラでとる。時間を決めて、その間なら何枚とってもOK★

ということで、この部屋の中で気に入った場所、ものひとなどを選んで、
配置したり画角をきめたりして、よーいスタートで2分間撮ってもらいました。


「もうちょっとこうして」「今度はこっち」
なんていいながら、パシャパシャと沢山撮ってくみんな^^
(人をとる子もいれば、モノをとる子も、風景をとる子も。ある子は何回も紙飛行機を飛ばしてもらって、それをおさめようと頑張っていましたよ!)

 そのあとは、次につかうカメラの説明。
一眼レフのフィルムカメラです。
フイルムに光を焼き付ける事、そのため、とり直しができないこと、フィルムを現像して焼き上がってこないとどう撮れたかはわからないこと。

デジタル世代のみんなには、はじめての体験かもしれません。
そんなフィルムカメラを使って、みんなにもさっきとおなじモチーフをとってもらいます
フィルムカメラのルールは、★ひとり、一枚のみ★


 シャッターを押すまで、すごくすごく慎重に、真剣になる様子がみえます

 いろんな視点、画角でファインダーをのぞいては移動し、、、

ようやく撮った1枚はどんな作品になったかな?



寺子屋にもどってから、デジタルカメラで撮った写真をみんなで見ながら、
沢山とった中のお気に入りの1枚を自分できめていきました



 沢山撮ったデジタルカメラ、一枚だけのフイルムカメラ

みんなどっちが好きだった?と聞いたら、
「1枚だけのフィルムカメラはめちゃくちゃ緊張したけど
だからこそ面白かったし、どんなものがとれてるかすぐわからないのもなんか楽しみ!」

という意見が^^

もちろん沢山とれること、すぐにみたり、消したり出来るデジタルの利点もある。

でもたった1回を大切にしたり、時間がかかる事やその待つ時間を楽しんだり、
少ないからこそ真剣に取り組む、その気持ちも持ちつづけてほしいな^^と思います。◯



パト、とってもいいワークでした!
きてくれて、ありがとう*

2019 1月空間の日

1月、多と少のさちえさん(空間)の日


さちえさんは「男と女、どっちがいいと思う?」
とみんなに質問。

男の子は「男!」
女の子は「女!」

なんで?と聞いてみるも、だって…、、、、のあとに続く言葉が支離滅裂だったりする。

じゃあチームにわかれて、相手を説得してみよう。と提案。
男子はふざけて、説得出来る理由がぜんぜん出てきません、、、。
 どちらも数としては3:3だったので、多い少ないが発生するテーマに変更。
 多い少ないのロールプレイをしてみようという試みをしてみたかったのです。

まず、総理大臣と大臣たち(多)、国民(少)で4:1で、
戦争をしたい多としたくない少でロールプレイをしてもらいたかったのですが、
なんででしょう、ワーワーぎゃーぎゃーになって、まったく対話にならない、、、、。

 ならば、みんなの置かれている環境にフィットするほうがいいのかな、と
先生(私)と生徒(みんな)で、やってみようと、こんな設定にしてみました。

”国から小学生を英才教育するために授業を8時間にするように”と指針がきた。みんなの意見を聞かせてほしい。先生を説得できれば、先生が国にも訴えられるかもしれない。


ということでやってみたのですが、、、、、
「やだ!逆にバカになる!!」「ストレス溜まる!!」とかなんでしょう
直接かみつくような言葉しかでてこず、、、

しまいにはあきらめの境地なのか、
「ゲームくれるならいいよ」と言いはじめる始末。
「もっていないゲームね」だって。

思考の停止なのか?!
(この言葉を聞いて私はちょっと血の気がひきました。。。 )

そこでさちえさんに先生になってもらって、私も生徒側に。

「そもそも、みんなが同じ授業をして、みんなが同じようにできるようにならないといけないって思ってる?」

と聞いてみると、「そうだよ、大人になったら困るもん」とKちゃん。
そのことばに「そんなに困らなかったなあ」とさちえさん。

確かに文字とか、基本的な計算とか、ベースで大事なものはあるけど、つかわないものだってある。
逆にかえさんのダンスみたいに学校で教えてもらえない事で自分で学んで、仕事にしてることだってある。

(私は割と優等生でしたが、なんでなんでちゃんだったので、
心の中でなぜこれを勉強しないといけないのか、をいつも疑問に思っていました。
ただ詰め込むだけではなく、どう生活に繫がるのかをこどもたちにもつたえるべきと思うんです。そしたら納得して学ぶとおもう。)

ロールプレイに戻り、
みんなに、こういうとき、いやだ!!とマイナスの意見をいうこともできるけど、
出されたものを超えるプラスのアイデアを出すっていう方法もあるよ、と伝え

「8時間だとしても、たとえば理科が得意な子がいたなら、その子の研究の為の時間を増やすとか。」
「他の国では、自分のうける授業を自分で決められたりするところもあるよ。」
「8時間にする分、1コマの時間を減らす、学校を週に3回だけに集中する、他の日は宿題ではなく自主的な自分の学びのためにつかうようなシステム。どう?」

そうみんなに問いかけると、
「いいね、それなら好きな物に集中出来る。」
「自分で決めたい!!!」

と賛同する意見がでてきました。


もう戦後から頑に決まってしまった一斉教育の教育システムのなかで
いつしかみんなの頭も頑になってしまったのかな。。
時代は平成も終わる。

どうにかこどもたちの持っているきらめきを奪わない教育になってほしいと願っています。

このころ、ぎゅうぎゅうに受け身の教育をされているせいなのか、
メンバーの組み合わせのせいなのか、最近の金曜日のメンバーは
テラコヤにくると、とにかく発散したい!のエネルギー100%になっていて、
とにかく話ができませんでした。
(動物園の肉食獣の檻の中にいるみたいなかんじ、、私が半泣きになってようやく話をきいてくれるという、、)

このロールプレイも含めて、 寺子屋でやってることはなんだって遊びなんだけど、
型にはまっていく時代をすごしているみんなは
遊び=ドッチボール、ゲーム、と頭の中の方程式内の決まったものしか遊びと思っていない様子。 もっと話せたのになあ、、どうしたものか;;と。
 

(今思い返すと、その様子はみんなからのSOSでもあったのかな。 )

でも、少数を体験したみんなは、意見がとどかないことへの怒りや、動揺を体感できたようです。

無関心でもなく、多い物にとりこまれず、長いものにも巻かれず。
自分の意見をしっかりもって、言える人になってほしいなあ。

2019年4月10日水曜日

2019 1月造形の日

1月、多と他の造形の日

寺子屋の前にある桜は年に何度か咲きます。
 1月のこの日も、花開いていて、それを描きたいといった子がいたので、ゆいちゃんはみんなで描こうと声をかけてくれました^^

ひとりひとりタッチがちがって。
花をかく子もいれば、枝を描く子も。







ゆいちゃんはその後部屋に入ってゲームをはじめました。

「少ないと思うものからはじめて、徐々に数を増やしていくゲームをしよう」
(寺子屋の中→大倉山→港北区、、など規模も大きくしてきます)


鳥、人間、鳥、虫、木、葉っぱ、砂の粒、などと増やしていきますが、
「え、ちょっとまって、木より人間の方が多いかもよ、街だと、、」とか結構みんなひっかかりながら、頭が混乱。。


そうして数を考えていくと、いつしか地球を飛び出して、、、、
星の数とか考え出して、宇宙の外側の話に。

そこで今日は宇宙の外側を想像して描いてみようと、ゆいちゃんらしいワーク。







みんなの宇宙の外側のイメージはこんな感じ!

明確な数をはじめ、得体の知れない、
わからないもののなかにわたしたちはいる
そのわからないもの、に目を向ける時間

塾が通いの続くHくんは「頭がやわらかくなった〜」といっていました。笑